私が大学のころから、三つの先を意識して自由組手を行うようにと、指導されてきた。でも、私は、刻み突きによる対の先と先の先だけしかできなかった。
だから、逆構えの相手が苦手だった。最後の試合の帝京の選手も逆構えだった。当時は、上段逆突きも苦手だったので、上段逆突きのカウンターで2ポイントも取れると思わんかった。
そして、先日、JKFan(国際武道大学特集)で宮本武蔵の五輪書にも三つの先があることを知った。
一般的な三先と何が違うのかな?と思い、調べ、以下のようにまとめてみた。
この両者を比べると、先の先も対の先も、懸の先に集約されていると思う。
後の先と待の先は、同じだと思われる。ただし、待の先だと、押さえながら・払いながらの同時攻撃も含まれると思う。
そして、躰々の先は、先の先と対の先が集約されていないと成り立たない。
実際の実戦では、先の先も対の先も、自然に先を取っていったら、どちらか適当な先が出るものだと思う。また、防御しきってからの反撃より、かわしながらの攻撃の方が極まりやすい。後者を含む待の先の方がより実践的だと思われる。
躰々の先に関しては、空手の場合、フェイントした際が当てはまるのではないだろうか?
フェイントにより、反応して硬直したり、対の先を取ろうとして防御してしまって崩れてしまった時に、技が極まりやすい。これは、お互いに先を取り合わないと、起こりえない攻防でもある。
ツーで極めるワンツーなど、虚実の使い分けも、崩しの技法として当てはまると思います。特に、ワンを受けさせれば、防御による隙が生まれやすくなり、ツーで極めやすくなる。
総合的に評価すると、基本は同じだが、宮本武蔵の五輪書の「三つの先」の方が、より実践的な三先の考え方だと思います。また、五輪書の三先は、基本編から応用編へと進化したものだと思われます。ほんとかわからんが☺
ちなみに、宮本武蔵の五輪書の三つの先で言うと、私は、懸の先と躰々の先と言えるだろう。
未だ、後の先や待の先は、上手くない。
かろうじて、前の左手で上段突きを払いながらスイッチして右手で極めるという技を覚えたくらいだ。
待ちは、性に合わない・・・。
今、懸の先と躰々の先の取り合いの稽古をさせ始めている。
その方が効率的に勝利へと結びついていくだろう。
そして、勝てるようになれば、新しい技を覚えるのにも貪欲になるため、勝手に育っていってしまうのだろう。
強豪チームって、こうやって作られていくのかな?と思う次第です。
だから、逆構えの相手が苦手だった。最後の試合の帝京の選手も逆構えだった。当時は、上段逆突きも苦手だったので、上段逆突きのカウンターで2ポイントも取れると思わんかった。
そして、先日、JKFan(国際武道大学特集)で宮本武蔵の五輪書にも三つの先があることを知った。
一般的な三先と何が違うのかな?と思い、調べ、以下のようにまとめてみた。
この両者を比べると、先の先も対の先も、懸の先に集約されていると思う。
後の先と待の先は、同じだと思われる。ただし、待の先だと、押さえながら・払いながらの同時攻撃も含まれると思う。
そして、躰々の先は、先の先と対の先が集約されていないと成り立たない。
実際の実戦では、先の先も対の先も、自然に先を取っていったら、どちらか適当な先が出るものだと思う。また、防御しきってからの反撃より、かわしながらの攻撃の方が極まりやすい。後者を含む待の先の方がより実践的だと思われる。
躰々の先に関しては、空手の場合、フェイントした際が当てはまるのではないだろうか?
フェイントにより、反応して硬直したり、対の先を取ろうとして防御してしまって崩れてしまった時に、技が極まりやすい。これは、お互いに先を取り合わないと、起こりえない攻防でもある。
ツーで極めるワンツーなど、虚実の使い分けも、崩しの技法として当てはまると思います。特に、ワンを受けさせれば、防御による隙が生まれやすくなり、ツーで極めやすくなる。
総合的に評価すると、基本は同じだが、宮本武蔵の五輪書の「三つの先」の方が、より実践的な三先の考え方だと思います。また、五輪書の三先は、基本編から応用編へと進化したものだと思われます。ほんとかわからんが☺
ちなみに、宮本武蔵の五輪書の三つの先で言うと、私は、懸の先と躰々の先と言えるだろう。
未だ、後の先や待の先は、上手くない。
かろうじて、前の左手で上段突きを払いながらスイッチして右手で極めるという技を覚えたくらいだ。
待ちは、性に合わない・・・。
今、懸の先と躰々の先の取り合いの稽古をさせ始めている。
その方が効率的に勝利へと結びついていくだろう。
そして、勝てるようになれば、新しい技を覚えるのにも貪欲になるため、勝手に育っていってしまうのだろう。
強豪チームって、こうやって作られていくのかな?と思う次第です。