50歳になり、いろいろなことを見直した。
3ヶ月強経過し、少しづつ変化が表れてきた。

まず、働き方を変えた。
10年後を見据えて、事業継承も意識し、動き始めた。
仕事よりプライベートの方を重く置くようにした。ただし、仕事の質は落とさない。

10年後の生き方も計画し始め、行動し始めた。

空手に関しても、一度、リセットすることにした。
新たなチャレンジも始め、良い再会があり、充実した日々を送っている。
感謝。

空手の流れで、体のメンテをきちんと行うようになった。毎朝、会社で体幹ストレッチを行うようになった。
力みのないしなやかさを重要視し、体の柔らかさも求めるようになったと思う。



内面的な変化として、人生の豊かさを求めるようになった。
付き合う人を選び、自分と家族のために時間を使うようになった。

仕事上、会食にたくさん誘われるが、ほぼ辞退している。一部の人間以外、本当に関係性の良い顧客・取引先や遠方から来た顧客・取引先に限定している。

今まで、幸せを感じにくかったけど、少し幸せを感じることができるようになったような気がする。
気がするだけかもしれんが、大きな変化だと思う。
そして、人生って、人だと痛感した。

人との出会いや関り、人に対する感謝。

さて、私は、起業し、いきなり東日本大震災が起こったが、会社や家族を守るため、がむしゃらに働いてきた。ラッキーが起こり、会社は軌道に乗った。
しかし、力無き者が騙されて会社と私を訴え、訴状が母が亡くなった当日に届き、母の死に目にも会えなかった。頑張って出版した著書を渡せたことだけが唯一の救い。
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その後も、苦しい日々を送った。当時は、騙した者も、まんまと騙されて訴えた者も、死ぬほど憎んだ。
それから、私は、負けたくない一心で、更にがむしゃらになって働き、会社を大きくした。

振り返ると、家族には、申し訳ないことをした。
裁判で反論が帰ってると、行楽に出かけていても、狂ったように弁護士への返信を異なっていた。

約10年、騙した者も、騙されて訴えた者も、存在が消えた。
そもそも裁判も、私が残した遺産の利権の取り合いで起こったものであり、私がいなくなれば、新しいものも創造できるはずがない。
力がないから、必然的に、ジリ貧となる。

成長が止まらない弊社とジリ貧の2社、売上だけでなく会社としての信頼も差が開き、しっかりと勝ち組と負け組に分かれてしまった。
ジリ貧な泥船会社の社員も可哀想だし、去っていった社員達も苦労しただろう。

明らかに勝敗はついたことで、憎しみも薄れ、この見えない争いも決着が付き、許すことはないが両者に興味がなくなった。目に入らんようになった。
それが今の心の変化をもたらしているのだろう。

私は、更に躍進するのみ、周りを幸せにするのみ。
先述のような経験をしたからこそ、大事な人達を幸せにしたいと思う。

この考え方は、顧客に対しても同じ。
会社のWebサイトや本ブログから私の考え方がわかるだろう。
だから、業界の冬が到来した今でも仕事が舞い込む。

今後、仕事では、無理し過ぎない範囲で会社を大きくしていきたい。
具体的には、後10年で、特許を最低3つ取得し、ヒト臨床試験も2つ以上実施したいと考えています。
自分の実力もわかっているし、できても、そんなもんだろう。

人生の目標としていた2つ目の博士号は、60歳になってからで良いのかな?と思うようになりました。
もしかすると、空手を絡めたスポーツ栄養学で縁があるかもしれないし、現時点では、どんな縁があるかわからない。
むしろ、自分が博士号を取るのではなく、子供達が博士号を取ってもらいたいとも思うようになった。まぁ、子供達が望めばだが。

最後に、改めて今の自分を評価すると・・・

家族にも恵まれ、右葉曲折がありながらも、子供達は元気に育っている。健康体であり、収入も少なくはない。
車も時計も洋服も、欲しいものは、ある程度、手に入っている。
高級でなくても、美味しいもんは、国内外問わず、一通り食べていると思う。
毎日を楽しみ、充実している。インスタみれば一目瞭然。
人に恵まれ、多くの人に助けられている。
これを幸せと言わなければ、贅沢だ!と怒る人もいるだろう。
幸せ なんだと思う。


何れにしても、60歳までは、更に豊かな人生を追い求めつつ、自分のペースで走り続けたい。
ファイト!

P.S.
裁判の話は、これで2回目。
基本、話すことはない。どうしても憎しみが溢れ出てくるから。
これが最後。
私は私の幸せを追い求めるのみ!
確固たる信念を持って。