今の時代、変化が激しい。
ビジネスのライフサイクルも早く、勝ちモデルも、あっという間に陳腐化してしまうこともある。

盛者必衰と弱肉強直が同時に共存する厳しい時代。

今振り返ると、弊社の戦略も、誤っていたら今の弊社はなく、何もしなかったら、会社自身が存在していなかったかもしれないと思う。

弊社は、明暗の分岐となった4つの戦略がある。

1. 2011年:原料への投資戦略
2. 2014年:OEM事業の本格化
3. 2017年:機能性表示食品の対応
4. 2021年:まめ鉄プチブレイクとOEM優遇戦略


まず、2011年、レスベラトロールブームが起こった際、得られた収益は、ほぼ研究開発費へと回した。
お陰で、翌年も、レスベラトロールが終息した後も、地味に弊社原料だけが流通するようになった。

この戦略は、いまでも続いている。一方、今は、成果に対するジャッチが厳しくなっているので、慎重に投資するようになっている。

次の戦略は、かなり大きい。
2014年くらいに酵素ブームが起こり、弊社は、OEM事業を強化した。いろいろな集客を試してみた。今や陳腐化してしまったが、最終的に最も有効だったのは、原料のコンテンツマーケティングによる集客だった。
1人あたり年間50商品を作ることもあり、毎日のように見積書を作る生活が続いた。

その後、弊社は、業務効率化を行うため、原価表と連動した使いやすいデータベースの改善や原価表の半自動化を進めた。



こういった準備期間があったので、2019年あたりにNMNサプリのプチブームが起こった際、迅速に見積書作成ができ、OEM供給展開ができた。
中国系の顧客がスピード重視だったため、案件成約率も高く維持できたのも、この仕組みのお陰だと思う。

そして、コロナ禍、オンライン対応もできるようなシステムを導入し、自宅にいても見積書作成してドンドン営業ができる体制をより強固なものとした。
弊社がコロナ禍に大きく伸びた理由。

2017年に機能性表示食品制度が始まり、各社、一気に原料の研究開発を行うようになった。
弊社は、対応は行っていくが、弊社のペースで、無理には行わないという戦略を行った。理由は、以下のページで述べているが、機能性表示食品の領域の問題が根底にある。



この戦略は、今でも変えていない。
まぁ、弊社は、まめ鉄というベースサプリや米国市場対応に予算を投じることにした。

最後に、まめ鉄のプチブームが起こった際、徹底的にOEMを優遇し、原料販売を伸ばさず、OEM営業を伸ばした。
その詳細に関しては、明日、記事で紹介する予定です。

まぁ、新しい原料マーケティングによって、仲間と自分で市場を作ったのだから、それを原料ビジネスで利益シェアする必要はない、シェアしてもOEM事業でシェアと考えたのが実際。

思惑通り、荒れずに、きちんと市場コントロールもできている。ビジネスのLTVも維持できている。
すでに特許戦略の布石や別の大きな布石も打たれているので、この方針は、このまま進められる。

実は、その水面下、円安による急激な原価率高騰が起こっており、原料事業が不安定になっていた。そして、各社の値上げを逆手に、案件を勝ち取るため、利益率を下げてでも、ギリギリまで値上げしなかった。
弊社は、原料事業だけでないので、この戦略が可能となった。
その際、徹底して原料事業の効率化も推し進めた。

今、3と4の戦略が功を奏している。小林製薬の紅麴問題が起こって機能性表示食品を中心に大きな市場ダメージが生じ、かつ更に中国市場がシャットアウト気味で市場が低迷している中、未だ成長し続けることができている。
ほんと、ありがたい。
まぁ、私の売上比率が上がってしまったので、良いことばかりではないのだが。

ちなみに、さすがに、この遅れてくる余波は、来期の営業に売上に影響するだろう。
流石に、毎年の前期越えでの決算賞与も今期までかな?と弱気になっている。

何れにしても、上記の4つの内、どれか1つでも誤っていたら、今の弊社はないだろう。
怖いなぁと思う。
改めて、戦略決めって、とても大事だと痛感した。

やっぱり、この業界は、特に中小企業の場合、ゼネラリストの経営者がカジ取りするのがベストなのだろう。
以前に話した泥船会社のように、市場を知らない裸の王様のような経営者では、社員が苦しいだけで、ビジネスがどんどん先細っていくのだろう。

まぁ、この重い責務は、10年後には若い世代に手渡したい・・・。