土曜日は、久しぶりに母校 東京海洋大学の品川キャンパスにて、空手道部の稽古に参加してきました。その後、青梅にて、2回目の稽古。

まぁ、部活に対する学生ライフの位置付け、部活での目標、空手の競技レベルについて、我々の頃とは全く異なります。
まして、良い成績を収められていた師範を含む諸先輩方とは、もっと異なるでしょう。
世の中の流れ、仕方ないこと。

過去、OBOGの先輩方の紹介をさせていただいたこともありますが、みなさん、文武両道で、社会でも成果を出されています。





そして、数年前、部活に対する学生ライフの位置付け、部活での目標、入部している目的などをインタビューしたことがあります。
幹部であっても、OBOGのことも何も知らないまま卒業するんだなぁと思いました。

学生達の多くは、先輩方の経歴を知らずに卒業していくだけでなく、おそらく先輩方の成績も知らないまま卒業してしまいます。

それは、勝ち続けていた伝統が崩れたからでしょう。
また、大学OBOGとしても、学生の就職活動に関わらなくなったのも大きいでしょう。

私の大学時代は、いくつかの上場企業の空手道部枠がありました。まぁ、私が4年生の頃には、無くなっていましたが。

勝ち続けていた伝統が崩れた理由は、主に2つだと考えています。

1. 空手の競技レベルの向上
2. 学校のカリキュラムの変化

空手の競技レベルは、年々高まり、今や国公立戦であっても上位のチームは経験者が多く在籍しています。
関東大会も、1部、2部に分かれるくらい。
我々の頃のように、帝京大学、日本大学、日本体育大学などと試合するようなことないです。

まぁ、オリンピック競技になるレベルですからね・・・。

また、大学のカリキュラムは、格段に厳しくなっており、卒業するには、しっかり勉強する必要があります。
部活とバイトの両立は、かなり厳しい。

私のように、頑張って2年生で9割の単位を取ってしまうようなことも不可能です。

加えて、学生寮もタコ部屋の男子寮でなくなり、4年間入寮できる訳ではないため、バイトしなくても部活に没頭できるという環境は存在しません。

このブログのどこかにも紹介されていますが、私の学生最後の試合は、関東の体重別個人戦(中量級)で、準々決勝(ベスト8)の相手は、苦手な逆体の選手で、帝京大学の選手でした。5-2で敗れ、彼はその後も勝って優勝しました。
大学から空手を始めても、この成績を残せたのは、時代と環境が良かったためです。
空手道部の良い先輩方にも恵まれました。

だから、今の学生と過去の我々と比べてはいけないのですが、過去の先輩方の成績を知っておくことは、悪いことでないと思います。

今回は、東京水産大学空手道部の60周年記念誌から、抜粋して紹介です。基本、全員大学から始めてますから、昭和50年以前の成績はエグイ・・・。

空手道部60周年記念誌_ページ_91
空手道部60周年記念誌_ページ_92
空手道部60周年記念誌_ページ_93
実は、ここには記載されていませんが、関東大会や東日本大会でも、かなり良い成績を収められています。

うちの3つ下の後輩達も、東日本大会でベスト16まで入っていました。
何の因果か、相手は帝京大学チーム。
ポツポツとポイントを取っていましたが、さすがに5-0のストレート負け。

時代が違うとしか言えません。

一方、4年あれば、かなり努力が必要ですが、それなりに勝てるようにはなるでしょう。
上記のベスト16メンバーも、経験者は一人もいません。
この時の後輩達を含め当時の東京水産大学空手道部は、今の学生の2倍以上稽古していたので、ここまでの成績を収めれたと思います。
今の時代、同じくらいの量の稽古を行えば、関東1部に復帰できるくらいになると考えています。国公立戦は、対戦相手次第で運。

最後に、何れにしても、しっかり時代に合った良いメニューを組み、どこまで必死に頑張るか次第だと思います。
それができれば、社会でも評価されると思います。
元々、国立大学(特に理系)の体育会系は、分析・研究の結果をベースに、より短い時間で結果を出せるようにすることが求められます。
時代の変化により、練習の質の部分が求められるようになっていると思います。


P.S.
短い時間の稽古で、弱小でも勝てるスキームは、常に試行錯誤しています。
私の空手指導、最大の課題。
一度、ブログ記事でまとめてみようと企んでいます。