今考えると、大学時代の生活は、ほんと、貴重な体験であり、コンプライアンス上、今では同じことができない生活だったなぁと思います。

我々からすると、良き時代

まず、入寮時18歳、歓迎会で浴びるほど酒を飲まされる。
今では、20歳未満の飲酒はご法度になっており、かつ飲み会への未成年の同席すら注意されることがある。
高校時代から、友達の家で酒飲みながら麻雀していた人間としては、堅苦しい世の中になったもんだなぁと思う次第です。

私の大学生活は、ざっくり、こんな日常でした。

【1・2年生の生活】
 9:00~17:30 授業でぎっしり
 17:00~19:30 部活(空手の稽古、週6日)※土曜日は10:00~12:30
 →20時くらいに寮食を食べて寝る、ときどき飲み会。

【3年生の生活】
 6:00~9:00 バイト(品川プリンスにて週3回程度)
 9:00~17:30 たまに授業(週4回程度)
 11:00~12:00 自主練(木曜日を中心に週2回)
 17:00~19:30 部活(空手の稽古、週6日)※土曜日は10:00~12:30

【4年生の生活】
 9:00~17:30 研究室(金曜日はゼミでプレゼン)
 17:00~19:30 部活(空手の稽古、7月の幹部交代まで週6日)※土曜日は10:00~12:30

【大学院生時代の生活】
 研究室と寮との往復+バイトの日々
 ※修士くらいまでは定期的に部活参加
 研究成果はこちら

真面目?な私は、2年生終了時、9割強の単位が取得できていたので、3年生は、バイトと空手以外、何をやっていたか?記憶が全くありません。
4年生になって、大学院の受験勉強と卒論の研究が始まり、生活は一変しました。特に、7月以降。

たしか、日曜日に高木先生の道場(偶成会)に主将の松田と通っていたのは、3年生の冬だったかな・・・とても良い経験だった。
まぁ、その松田が腕を骨折して、かなりの期間、私が練習を引っ張っていたので、めちゃ忙しかった記憶がある。

当時の朋鷹寮は、縦割りのタコ部屋。
約7割が体育会系の部活に所属。
6畳くらいの部屋3部屋(真ん中が共有の談話室)を4~5人で生活。ベットと机がある両サイド2部屋を2~3人で生活する。
お風呂は、大きな共同浴槽。たまに覗きに来る痴女(おばぁさん)がいた。
寮生全員が入れる食堂があり、新歓などは、食堂で行われた。
頻繁に各部屋で酒盛り。
北寮・南寮に分かれて年1で運動会。

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今の学生には、想像できないような生活だろう。

まぁ、私のもっと上の世代には、あさま山荘事件の主犯だった坂口弘(連合赤軍)が305号室の寮生であり、我々ですら想像のつかない生活があっただろう。

ちなみに、接点ないだろうが、政治家の小野寺五典先生も寮OB(507号室)です。過去、お会いした時、朋鷹寮をモデルとした学生寮が舞台の漫画:花の都(作者は503号室のOB)を手渡した。

この寮生活は、先輩後輩が集まって、酒飲みながらいろいろなことを話し、時には議論した。
私を成長させてくれた。
ちなみに、いまと同じく、トップの役職は嫌いなので、いつも副のポジションで好き勝手やっていた。

まぁ、タイムスリップして再び戻れと言われると躊躇してしまう部分もあるかもしれないし、子供達に同じ経験をさせるかと言えば迷ってしまうだろう。
時代が違う。

でも、楽しかった思い出しかない。

コロナも明けたから、再び寮の同期や後輩達と集まりたいなぁ・・・。
この仲間達が一番の財産。
長く合わなくても、すぐにわかりあえる。