恐るべしAmazon。
こんな古書が電子版で販売していた。

琉球拳法 唐手 リフロー版 Kindle版
富名腰義珍(船越 義珍) (著)


過去、4000円以上もの価格が付いていた古書だが、金額もお手頃だったので、購入してみた。

こんな書籍は、印刷して出版しても、コストがペイできず、利益が出ることはないだろう。
電子化され、本価格だと、ペイして利益も出るのだろう。
非常にありがたい。

本書の内容は、人それぞれで感じ方が異なるだろう。
私は、これが松濤館空手の源流であり、和道流は、この源流の空手(唐手)がベースになっていることがわかる。
むしろ、この富名腰先生の唐手は、体育性を強めた現代の松濤館流より和道流の方に近い感じがします。
形も、セーシャン・チントウ・クーシャンクーだ。

一方、文面をしっかり読むと、唐手は、昭霊流と昭林流のどちらかに区分でき、それぞれの特徴を理解した上で両方を学んでいくことが必要だと紹介されています。
この大正11年の時点で、クーシャンクーとバッサイは、大小の2段に分かれているという紹介のされ方もされており(五十四歩は分かれていない)、非常に興味深い点だ。
もしかすると、形の大小は、昭霊流と昭林流の違いに由来するのかもしれない。

この変化を見ても「空手とは変化するもの」だと思う。
人によって、時代によって。

現代の松濤館流と和道流では、足運び、立ち方(特に前屈立ち)、下段払いなどの受け方(松:正面から半身、和:半身から正面)などが異なります。
富名腰先生 本来の松濤館流の形というものに非常に興味があるが、実は、一番身近に存在していたのかもしれない。
でも、その答えは、いろいろな諸事情で、明確にされないのだろう。たぶん、角が立つ。
今後の研究課題です。
【続】18.07.23
大学からの空手も、青梅でお世話になっている空手も、何だかんだで、私の空手は、すべて富名腰先生へとつながっています。
学ぶことや伝えることは大事だと思います。

14日に発売した月刊 秘伝 8月号を読み、続編を書くこととしました。(本編を読んでいただいた後で続きを読んでもらいたかったので、別ページにはしませんでした。)



この雑誌では、変化した富名腰先生の空手についても、解説されています。
武道としてではなく体育として空手を普及しなければならなかった事情、そして、その体育化による晩年の富名腰先生の立ち方の変化(;歩幅の変化)などが紹介されています。

全体的な構成にはいろいろ思うところがありますが、かなり勉強になりました。
よりスッキリしました。

何が正しいかの答えはないのだと理解しました。
空手とは変化するもの。

大塚博紀先生も、富名腰先生の弟子です。初期の富名腰先生の空手(琉球拳法 唐手)を学び、のち、和道流に所属することは自然の流れであり、富名腰先生の空手も変化していて、お亡くなりになった後も変化していた。

まぁ、オリンピック種目となった空手;Karateも同じように変化したのだと思います。
いろいろ、感慨深いです。

この記事の筆者:栗山 雄司 (博士)

株式会社アンチエイジング・プロ 常務取締役 COO / SloIron Inc. 取締役 技術アドバイザー / 順天堂大学医学部 総合診療科 研究員

kuri photoM2 広告にも精通し、日々、売れる商品(;顧客の成功)のことを考え、健康食品サプリメントの機能性原料開発やOME製造を行っています。